自己顕示欲を満たすための道具として芸術を使うのは、犬猫好きを称して檻の中に入れるのと同じ(室内飼いではない)

(室内飼いのことではありませんw)

アーティストを目指す と言うと、有名になること がセットとして捉えられていますが、

これは誤りです。

 

芸の道を進む人(といってもそこまで本質的に考えてない人が殆どですが)は、細分化すべきです。

 

1.有名になりたいパターン

 

芸術でなくとも、有名になる方法は幾らでもあります。

 

 

2.金がほしい

 

金が欲しいのであれば、一般的な仕事をしたほうが確実です。

 

 

例えば、有名な歌手になりたい 思ってる人は、”有名”が優先度を高くしています。

 

芝居で飯を食いたい という人は、芝居と同じくらい飯を食うことを重要視しています。

 

有名になりたい のであれば、歌唱力よりも、プロモーション(広告) 宣伝をしていくスキルの方が重要です。

 

芝居で金を稼ぎたいのなら、何の練習をしなくとも嘘(演出)が上手な人もいる中で、どの様に稼いでいくか という、金を得る(マネタイズ)ビジネススキルの方が重要です。

 

芝居や歌唱力が人より上手であれば、自ずと人は集まる などという甘い世界ではありません。

色々な理由がありますが、第一は いくら当人が練習しようと結局は見た人や時代に合っていたかによって評価基準がコロコロ変わるからです。

 

詩人のエドガー・アラン・ポー江戸川乱歩ではありませんw)も芸術のための芸術にて近いことを云っています。

 

ja.wikipedia.org

 

我々は詩をただ詩のためだけに書こうと決意するようになった(中略)そうしたことが我々の意図であると認めるならば、我々は真に詩的な威厳や力に根本的に欠けていると告白せねばならぬだろう。しかしながら純然たる事実としては、我々がただ我々自身の魂の中を覗き込むに委せるなら、まさにこの詩、この詩それ自身、詩でありそれ以外の何物でもないところのこの詩、「ただ詩のためだけに書かれた詩」よりも威厳のあり高貴な作品などはこの世界には存在せず存在し得ることもないことを我々は直ちに発見するであろう。

 

 

ここまでを要約すると、芸術が好きだからこそ金や名声を得るための手段として使わず、本当の芸とは何なのかを追究している者に勝るものは無い

という事です。

 

お金目当ては功利主義ですし、名声目当てなら承認欲求を満たそうとしています。

 

しかし、多くの人は”プロ”という肩書を求め、どうだ 私はどこかに所属して金を稼いでいるんだという権力欲に囚われています。

 

純粋に上手くなりたいのであれば、メジャーになった なってない で争いません。

これは評価する客側も同じです。メジャーじゃないからダメだ という人は今の時代でも一定数います。

 

考えてみると分かるのですが、”飯を食う”と言っても いくらの事を指しているのでしょうか

質素な人や倹約上手であれば、月10万もあれば生活できてしまいます。

 

お金を稼いでいれば一人前 というのも、今の時代では

例えば、明日からギターを持って配信すれば1円はすぐに稼げますし、

ある程度フォロワーの居る人なら既に名声を得た状態でスタートするので、すぐに有名●●になることができます。

 

アーティスト(芸術家)と言っても、有名ではないが、伝統ある昔のやり方、昔の画法でひっそりと店を構えている人もいますし、

前衛的すぎて時代が追いついていないが、マニアからは愛されているケースもあります。

 

逆に、”プロ”となってしまったが為にフリーの営業がしづらく仕事がない

なんて人も大勢いるので、肩書に拘らない方が視野を広く生きられますよ