芸術は他承認より自己承認 芸能界は不純な競争

芸術において、他承認より自己承認のほうが重要です。

 

理由は簡単です。

 

他承認には終りがありません。

例えば、何かの作品を作って誰かの賞を得たい という場合、審査員の価値観が評価基準となるのでその賞を取っても、参加者の中で最も優れていたとは言えません。

 

お笑いグランプリでも、視聴者票と審査員票でかなりズレがあったり、コメントも視点が違うので審査員が難しい事を言っても視聴者には伝わりません。

 

多くの場合、審査員は芸の完成度を作ってきた側からコメントしますが、視聴者にとっては面白いか、面白くなかったか が基準なのです。

 

そして、審査員ではなく視聴者側の基準に合わせて作品を作っても今度は作ったことのある人側からの支持を得ることが難しくなります。

 

審査員側に合わせれば これは理屈がわかっている 造詣が深い と言われ、

視聴者からは よくわからなかった といわれる

 

また、多くの場合 審査基準が個人の価値観であることを利用して◯◯オーディション や ◯◯賞 というのは、出来レースになっています。

芸能プロダクションとして、評価基準が曖昧な世界でタレントという商品を売っていくにはそういった肩書作りというのが大事なのです。(ビジネス上は)

一人の人間に絞って、売り出していく方が儲かります。

 

いいねを稼ぐにしても、100♥を得たら今度は1000・・・とキリがありません。

そこで、多くの人に見せつける、知らしめるといったような広告力が必要になっていきます。

当然、他社もセールスする。と、今の無駄な広告で溢れた社会になる という構造です。

 

 

そして他承認を求めてしまう世界では、不純な競争になりがちです

 

数学のテスト界 という物があったとします。

 

此方は芸術と違って、正解がありますので80点取った人は残り20点を。

60だった人は40を勉強すればよい。

 

しかし、絵や芝居となると別。どこを直したらウケるのか? 評価を得ていることは良い事なのか? その評価は国内だけで世界ではどうなのか?

完璧な絵があったとしても、どこか下手だけど良さを感じる絵に敵うのか?

 

そこで、自分も努力したのになぜしていない人間が売れるのか、

ならば審査員の心象を買おう、金で買おう、枕営業をしよう、圧力をかけよう

などという卑怯な方法を使いがちです。

 

皆さんはピカソの絵は何がすごいか論理的に説明できますか?

 

私はできません。それっぽく話してインチキを吹くことはできますが

多くの人がピカソの絵の良さを理解できていなくとも、誰よりも有名ですよね。

 

 

なので、

他人ではなく、自分が満足する作品を作る

その方が、他人に依存することもなければ、肩書に拘ることもない、悪質なコネクション作りもしなくてすむ

 

 

評価基準が曖昧な世界では自己承認が重要です。