おはようございます。
今回は散々、芸術を食い物にしてきたにも関わらず、AIに負けてしまうクソザコアイデンティティの皆さんについて解説したいと思います。
どういう事かというと、コチラの記事でも解説しましたが
まず、”芸術”そのものでお金を稼げた事例は一握りです。
例えば、芸能事務所に所属し、役者を売る場合、広告する人、マネージャー、経理、社長、事務所の肩書など様々な役職の人が居て成立します。
役者本人が芝居だけで稼いでいる訳ではありません。
どんなにその人が実力(といっても、日本でウケたところで海外では全く通用しないなどあり得るので芸術の世界で実力という言葉は曖昧なのですが)
があっても、宣伝(セールス)の仕方によっては誰も興味を持ってはくれません。
youtubeというプラットフォームでも、胸や肌を露出し本人の性的魅力をアピールしつつ、ピアノを弾く動画があります。
この場合も、本人の演奏のみ で稼いでいるとはいえません
お金を稼ぐ という事は綺麗事ではなく、狡猾な手を打つ必要も出てくるので否定をしている訳ではないですが
先述の通り、芸術の世界では能力の証明が不可能なので、コネクションや本人のタレント性(誠実、真面目とか日本好みの)、キャリア(芸歴)を誇示する事でしか表明ができません。
芸能でお金を稼ぐとなると業態が不純になりがちです。
「セクシー田中さん」原作者・芦原妃名子さん もそうですね。
一方で、所ジョージさんの様に youtubeでフォークソングの動画を出していたが、youtubeが無広告動画にも広告をつける、と発表した後にお金がついて回るならやらない
といった 敢えて芸術を食い物にしない方がいます。
また、所さんは動画内で 他人の曲なんか引かなくていい ギターの練習なんて自分で好きなように弾いちゃえばいい とも言っています。
芸術の本質ですね。
芸術と芸能は似ているようで別の方向を向いています。
本題です。
そんなに金が欲しければ週7でバイトをすればよいのに、金に目がくらみ芸術を散々食い物にしてきた人たちが今、機械の発展によってその稼ぎ場が脅かされ、反対運動を起こす頭の悪い人たちがいます。
昔、洗濯物は洗濯板を持って川へ行き洗濯していました。
木を擦って火を起こし、肉を焼いていました。
現在は洗濯機があり、電子レンジがあります。
世の中”全体”がより良く便利な方向へ進み社会の発展に繋がることは明らかなのに、
機械音声やAI絵を否定してしまう人が居ます。
洗濯屋さんが可哀想だから洗濯機を使わないのでしょうか?
感情に左右される人間よりも機械音声のほうが、地震の際、安定して音声を届けられます。
皆さんは社会の発展を停滞させる残念な人でしょうか、それとも調和できる人でしょうか。