おはようございます。
ゲームの本質的な面白さは1990年代前後には殆ど完成しています。
シミュレーションでいえば、ファミコンウォーズ
現代におけるゲームは、オーケストラを起用した音源や、楽器数の多い曲、
テクスチャの多い綿密なグラフィック(要するに、リアルな人間とか)
不必要な声優の起用
確かに、美麗なグラフィックや大掛かりなサウンドがゲーム体験の質に全く効果を与えない とは言えませんが、近年のゲームは本質的なゲームクリエイトをサボって”ゲーム”の中核とは別方向に逃げすぎです。
世界で売れているゲームには余計なボイスも、綿密なグラフィックも、大掛かりなサウンドもないことはデータを見れば明らかです。
1位、マインクラフト
2位、テトリス
3位、WIIスポーツ
また、ドラクエシリーズ内でもボイスありのドラクエ11は売上5位程度ですし、
レトロゲームでボイスのあったリンダキューブ、スターオーシャン、テイルズオブファンタジアなどより、ボイスのないドラクエ3やFF7の方が社会現象を巻き起こし、売れていることは明らかです。
ただでさえテキスト量多いのにねっとり喋られたら何時までも終わらないですし、ゲームを購入した人はオーディオブックを読みたい訳ではありません。
グラフィックばかり綺麗で肝心の中身が疎かでは映画を見たほうが良いです。
どうしてこうなったかというと、ゲーム会社や起用する芸能側の利権が確立されたことが大きな要因です。
例えば、コンパイル時代のぷよぷよは 社員が声を当てたりしていました。
その方が、人件費やかける時間は大幅に浮きますので、ゲームの中身に着手できる時間が圧倒的に増えます。
現在は、仮にガヤであってもひいきにしている事務所から 今、所内でプッシュしている売り物(キャストのこと つまり声優とか)がいるからこいつを絶対出してくれ
と圧がかかります。
個人単位であれば好きなように断れますが、会社だとそうはいきません。
ガヤくらい自社で録るか、とか キャラに合ってないじゃん!と思っても決まり事ですので逆らえません。
こういった、ユーザには全く関係のない利権構造が出来上がっていて、ゲームの中身とは全く関係のないところで無駄なコストが発生しているというわけです。
従って、ある程度は自由に立ち回れるインディーズが台頭しはじめている とも言えますね
様々なゲームの方向性があるのはよいことですが、利権にお金を払っているのか、中身に払っているのか 考えてみて下さい